銀座ろくさん亭での日本料理修業を経て、パリで本場のフランス料理を学んだシェフ川名の料理教室
料理教室&BistrotRIANTのメールマガジンです。
料理人・川名克典の料理セミナーでは伝えきれない
技術の裏に隠されているものを書いています。
それは、料理と人生をおいしくする秘密そのもの・・・。
「フランス料理屋であのテリーヌって覚えたら教えてくれ」
二軒目の和食店を辞めるときに、誰かに言われた。
それが誰だったのか、残念ながら忘れてしまった。
連絡を取り合っていれば、伝えることも出来ただろうに・・・。
あの頃は人生が毎日変わっていて接する人々も目まぐるしく
変化した。
辞める日の帰りにみんなで飲みに行った時、言われた。
飲めない僕を送る会で、みんな飲んで騒いでいた。
もしかしたら僕を送る会ではなくて、何か別の目的だったの
かも知れない。(笑)
必死になって過ごした店だけれど未練が無くて、特に淋しい
気持ちも、後ろ髪引かれる思いもなかった。
毎朝一番で鍵を開けた。
地下鉄の駅から続く小さな地下商店街にあった。
ランチ屋が殆どと、喫茶店、ドラッグストア、何故か米屋。
せいぜい七、八軒が軒を並べていた。
通りきって階段を登れば肉屋があった。
よく賄い用のメンチカツやコロッケを買いに行った。
その向かいにある小さな公園の入口に軽トラックの後ろ側
をショーケースに変えた魚屋が毎日午後になるときた。
ここら辺では馴染みなのだろう。
夕方行くと、どこからともなく主婦や板前さんが買いに来
ていた。
こんな都市で暮らしている人もいるのだと知り驚いた。
確かに、バイトで来る洗い場の女の子は近所に住んでいると
言っていたけれど・・・。
若い子が一人用のマンションで暮らしているばかりだと思っ
ていた。
そう言えば、駅からでた通りに古い味噌屋があった。
米屋も、地下鉄が出来る前からこの地所で店を営んでいたの
だろう・・・。
早朝は車も人も少なくて・・・。
住みたいと思わないその街も、少し好きになった。
ランチの準備を始めた。
出汁をひき、米をとぎ、野菜を刻んだ。
味噌スープと醤油スープを作った。
まだ、誰もいない階下の倉庫へ行き冷蔵庫から日付を確認し
て生うどんを四箱抱えた。
後は店長とバイトの女の子達が来るまで天ぷらを揚げれば・・・。
一杯五百円程度のうどんをランチだけで数万円以上、時には
十万円の大台にあげて「大入り」をもらった。
お客様が入り始めたら誰もなにも言えない。
オーダーを通す店長の声だけが厨房に響く。
バイトの女の子達は、まるでベルトコンベアーのように出来
あがったうどんのお盆を運ぶ。
日本料理店にいた僕は面食らった。
一人の食事時間が数分、長くて十分足らず・・・。
テーブルは何度も回転する。
殆ど二時間・・・。
鍋焼き味噌うどんとすき焼きうどんを作り続けた。
時々、かけそばやかけうどんが通る。
さすがにうどん屋と書かれたのれんをくぐって、ざるそばを
注文する人はいなかった。
運ぶ方がベルトコンベアーなら、僕は溶接ロボットだった。
三時・・・・。
ランチが終わり、グチャグチャに散らかったキッチンを片付
けた・・。
途中で足りなくなった長ねぎのクズや・・・。
うどんが入っていた段ボール箱とパックのビニール類。
くずかごに入れたつもりの卵の殻、天ぷらの衣が足の踏み場
もない程散らかっていた。
まかないの準備をし、客席のワンテーブルを使い食事する。
店長、ウエイトレス、調理補助のおばちゃん・・・・。
七人分の食事を作り一息入れた後、仕込みを始めた。
夜は居酒屋になる。
とは言っても、近所には六本木も新橋もあるから、此処で酒を
飲む人は少ない。
このビルで遅くまで働いた人が、軽く一杯引っかけに来る程度。
ロボットから板前になった。
夜十一時になると、殆どお客さんは帰ってしまう。
僕はランチの戦争状態に備えて、きざみものをした。
鍋を洗い、まな板をさらし、床に水を流しブラシでこすった。
それだけだった。
考える時間など無く・・・。
料理人3年目の僕は、殆どチーフ代理だった。
送別会の日店長に言われた。
料理長がお前のこと「とにかくまめな奴だ」と感心していたよ。
・・・・。
そうか、まめな奴か・・・。
料理長はその頃会社が立ち上げた銀座店と掛け持ちで、うどん屋
には時折顔を出す程度だった。
店長の気持ちと裏腹に、僕はあまり嬉しくなかった。
「ま、いいか・・・。まめな溶接ロボットだもんな・・・」
「テリーヌを教えてくれ」と言ったのは誰だったろう?
「あのネットリした秘密は何だろう?」と確か言っていた。
いいところに気がついていた彼は・・・。
もうその秘密を知っただろうか?
今日から、十月の秘密を喋る料理教室が始まる。
今月は・・・。
今日も、新しいインスピレーションを求めて・・・。
引き寄せる一日でありますように。 (^ー^)v
そして・・・
いつも 「ありがとう」
メールマガジン「愛される料理」
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多摩美建築学科入学後、陶芸の勉強を始める。
80年 ろくさん亭(銀座)
88年 ジャック・カーニャ(パリ)
89年 キャフェ・セルクル(パリ)ミッシェル・ショーダン(パリ)
90年 ラ・シテ(ニューヨーク)
91年 キャーブドルオ(パリ), 帰国
92年 料理教室「エミーズ」(青山)料理長
95年 RIANT(代官山)
2013/1/16