一流シェフの料理、本格的ケーキ、焼菓子、カフェメニュー。味や食材・製法、ワンランク上の技術に拘ります
23才の時にイタリアに旅行に行きました。
私の尊敬する従姉の直ちゃんは、イタリアで漫画の翻訳家として活躍していました。
「ドラゴンボール」や「らんま1/2」など、人気の漫画を手がけていました。
憧れの直ちゃんに会いに行ったのがきっかけで、
私はイタリアに恋焦がれてしまいます。
私はイタリアに永住しようと決めました。
帰って来てすぐにイタリア語を習い始めました。
先生はあの「テルマエ ロマエ」の作者であるヤマザキマリさん。
(現在acca xerowgのレジの壁に、当時描いて頂いた絵が2枚飾ってあります)
週に2回マリさんの個人レッスンに通い、
どこにいてもスピードラーニングのようにイタリア語を聞き流し、
毎日イタリア語で日記を書いて、イタリア語検定にも合格しました。
イタリア語の映画を見て、イタリア料理を食べ歩きました。
もう20年も前の話ですね。
リストランテではなく、トラットリアやオステリア、タベルナでも、私は必ず敬意を込めてメイン料理も頼みました。
でもいつも、パスタが一番の楽しみでした。
それはメイン料理で心底感動した事が無かったからです。
それでもずっとイタリア料理は大好きで、シェフのクラスに習いに行ったり、
札幌で有名な人気のお店には沢山行きました。
話は変わり、
最初に一人で飼った犬はゴールデンレトリーバーのメスで、
ビーチェと名付けました。
私が大好きなイタリア映画「イル ポスティーノ」の主演女優の役名が「ベアトリーチェ」だったので、その愛称の「ビーチェ」と。
ビーチェは9才で癌で亡くなります。
ビーチェが2才の時に、ヤマザキマリさんは同じゴールデンのメスを飼いました。
昔イタリアで出会った美しい女性の名前で、ピアラと名付けていました。
マリさんの家に遊びに行くと、生後2ヶ月のピアラがコロンと寝ていました。
マリさんの手料理のパスタもとても美味しかったと記憶しています。
ピアラはどんどん大きく、太くなり、頭の一部がとんがってきました。
眉間の骨がちょっととんがっていたので、そこの毛がいつもつまんだみたいにピョンと立っていて、それがピアラのチャームポイントでもありました。
マリさんがテレビの取材などで出かけるときは、
いつもピアラをうちで数日預かっていました。
ビーチェもピアラを可愛がり、一緒に遊んで仲良しでした。
犬とイタリアは私がずっと大切に思いを込めて来たものでした。
33才からケーキを習い始めて陶酔し、これも習える機会があれば、
破産してでも全て習いに行き、家で時間がある限り作っていました。
上手になりたい。
上手にならない。
美味しくしたいけど失敗ばかり。
焼菓子一つまともに焼けませんでした。
それでも辛くないのです。
失敗したからもう失敗しない。
失敗のおかげで学べました。
失敗が喜びであったりしました。
気持ちの悪い話ですね。
良い意味でオタクです。
失敗の大きな原因は、家庭用の電気オーブンでもありました。
家のキッチンの工事をしてガスオーブンにしました。
そこからもう悩みや失敗が激減しました。
どんどんどんどん作りました。
本やネットで調べまくり、シェフのクラスに通いまくり、
作って食べて作って食べて。
フェイスブックに作品を投稿したり、
フリーマーケットに参加させて貰ったりしていると、
作って欲しいと注文を頂けるようになりました。
そのうちに、ノルベサの1階に当時あった飲食店向けの学校というスペースで、
教室を開催させて頂く事になり、
カフェや区民センターなどでも教室をやらせて頂きました。
なんと数ヶ月で200名の生徒様が来てくれました。
そんな時にノルベサの飲食店の学校が撤退する事になり、
私は教室を自分でやろうと決心して、物件を探し歩く毎日となりました。
フラフラと歩いたり、自転車や車で探しまわっているうちに、
今のacca xerowgの店舗に「テナント募集」と貼ってあるのを見つけました。
中を見せて貰い、家賃が高く、トイレなど色々と問題はあったものの、
変に前向きな私は思い切って決めました。
しかし最初はまだまだ教室専門としては生徒様がついていないのもあり、
支払いが絶対に無理でした。
お菓子やケーキの販売に加えて、カフェとしても機能させていました。
教室は外部の先生にはお願いしていましたが、
私はカフェの業務に追われて、自分の教室どころではありませんでした。
開業後1年以上してやっと自分の教室を開催しました。
しかしまだまだ、教室だけではやって行けません。
支払えません。。
そんな中、素晴らしいイタリア料理人の澤飯和広に出会いました。
私はイタリアが大好き、イタリア料理が大好き。
でもこんなイタリア料理を食べた事はありませんでした。
パスタソースには深い味わいと、手打ちパスタの歯応えと旨味。
今迄あっても無くても良かったメイン料理ですが、
心の底から「美味しい。。」とため息をついてしまう和牛やイベリコ豚のロースト。
フランス料理のように色んなソースがお皿に描かれ、そのどのソースも必要でした。
凄い人がいるもんです。
そのシェフの顔を見ると、なんともホワンと心配になるような頼り無さ。
この人がねぇ。。
東京の星付きのリストランテや銀座の人気イタリア料理店で修行を積み、
シェフにまで登り詰めた人ですから、
ホワンとしていても、やはりそれだけの辛い経験の賜物である技術でした。
修行した星付きのリストランテはなんと「ビーチェ」という名前でした。
なかなか札幌で思うように腕を発揮出来ていなかった澤飯シェフ。
こんな本物に出会ってしまうと、私がやっているカフェなんて、
とても陳腐で恥ずかしく思えて来ました。
自分の夢は教室専門でしたが、この澤飯シェフの腕を皆様に知って頂く事が、
今は自分の使命ではないかと思いました。
しかし教室もやはり私のライフワーク。
少しずつ機会を増やして行きました。
教室の生徒様も増えて行き、
イタリア料理のランチもどんどんお客様も増えて、
とても嬉しく思っていたのですが、
お互いに窮屈になる原因でもありました。
教室は月に何回かと限られているので、
その月だけのメニューなのに、参加出来ない方が増えて来ました。
この日にイタリア料理を食べたいのに、
来てみたら教室で貸切だったというお客様からの声も増えて来ました。
ずっと何ヶ月も前から悩みに悩み、
シェフとも話し合い、
この決断となりました。
acca xerowgは教室専門店になります。
澤飯シェフはまだまだうちのお店では腕が発揮しきれずに、
その才能がもったいないという環境はなかなか変える事は出来ませんでした。
もっともっと澤飯シェフがあるべき場所で活躍して磨いて、
何か特別な事をしなくても、
いつかその名前が必ず浮き上がって来る人物だと思います。
まず札幌にはいないイタリア料理人です。
澤飯和広という名前を是非覚えていて頂きたいです。
私には夢があり、それは今迄変わっていません。
何度も書きますが、教室に尽力することです。
しかしそれを少し先延ばしてでも伝えたいと思った澤飯シェフの料理でした。
澤飯シェフの料理を食べた事が無いという方はとてももったいないです。
澤飯シェフの手打ちパスタを肉料理を食べた事が無い方はもったいないです。
澤飯シェフのカポナータやキャロットラペを食べた事が無いなんて。。。
本当にもったいないです。
誰もが作って普通に食べるカポナータ(ラタトゥイユ)やキャロットラペ。
それなのに、どうしてこんなに美味しいの?!
どのお店でも無難に食べて来たシンプルなトマトソースが、
どうしてこんなに美味しいの!!!!
澤飯マジックは沢山ありました。
またいつか澤飯シェフの料理を食べれる日が来る事を楽しみにしています。
沢山の方に美味しいと言って頂きました。
それでもまだまだお伝えしきれずに悲しい思いもしました。
しかし美味しいと言ってくれた方にしか今は想いが向きません。
本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
澤飯シェフをパチョと呼んで、
パチョの料理は美味しいと、
ムカつくわ~と、
沢山のお客様、
沢山の友達や、
味で勝負しているシェフ達にも、
認めて頂き、
パチョを励まして頂き、
尊敬するとすら言って下さった方、
本当にありがとうございました。
最後の日を思うと今から悲しいです。
しかしお互いに技術を高め合う決断、とても前向きな決断だと思います。
尊敬する中華料理人は以前に言っていました。
「命をかけて作っているんだから、命をかけて運んで貰わないと」
9月16日の最後の最後まで、
澤飯シェフが命をかけて作った料理を
命をかけて皆様にお届けしたいと改めて思っています。
本当に1年半という短い間でしたが、ありがとうございました。
※澤飯シェフのレッスンについて
澤飯シェフのレッスンは、また時間が合えば開催して貰いたいと私は思っています。
澤飯シェフの今後は色々と選択肢があり、
未だ決まっておりませんので未定ですが、
澤飯シェフ自身も生徒様には格別な気持ちがありますので、開催を期待しています。