ご家族やお友達とお家にいながら本場スペイン料理を習って見ませんか?
スペインからこんにちは!
スペイン料理教室を主宰している、
みうらみゆき と申します。
現在、私はスペインの首都・マドリードから
世界に向けてスペイン料理教室を
発信しています。
自宅料理教室をスタートして15年経ち、
延べ5.000名程の方に教えてきました。
スペインとのお付き合いも
学生時代の留学から考えると
26年になります。
今日は改めて、
自己紹介をさせて頂きます。
ちょっと長くなりますが、
お付き合いください♥
はじめに
私は始めから食の世界にいたわけでなく、
就職活動ではほぼ全滅、、、
自分に自信がなくなってた私を
ギリギリで拾ってくれた
唯一の企業に新卒で入りました。
世界的にも有名な電機メーカーで、
商品のプロモーション部隊として
世界中の展示会を飛び回り、出張先では
現地の味を楽しみ、日本にいる短い時間では
都内の飲食店を友人達と謳歌する、
という華々しいオフィス勤め時代を
過ごしていました。
最後の数年は、憧れの商品企画部に移動し、
世界で売り出される商品を担当し、
やっとその会社で達成感を感じました。
多分、
その時の達成感が
なければ、ずっと悶々と
その会社で働いていた
気がします。
はじめての転職
大好きな会社だったのですが、
30才を数年後に控え、
思い切って興味のあった
食の業界に転職することに。
大企業からベンチャー企業に転職して、
「自分が好きなものを
プロモーションすることが
大好き」
な自分を再確認。
2年ほど経って、ワンマン社長の
方針に疑問を感じていたこともあり、
30才を目前に、再び自分のやりたいことを
考えました。
30歳直前、単身スペインへ!
私は、学生時代にスペインに留学していて、
そこから何故かはまってしまい、
社会人になっても休暇さえあれば
1人でスペインに旅行していたんです。
(永住するって分かってたら他の国に行ってたわぁ、、、)
食の業界で活躍したいと思ってましたが、
料理人の世界は、皆さん16才から
その道に入って、毎日アスリートのように
料理を切磋琢磨しています。
そこは
30そこそこで始めた小娘が入り込める
土俵じゃないんです。
そこで、
私なりのやり方でスペインの食
を追求していこう、と再び、
今度は料理留学でスペインに向かうことを
決意しました。
スペインに行く前、色々調べている間に、
おおつきちひろさん著者
「スペインの食卓から」という、
子連れでスペインに料理留学し、
料理上手なおばさんのお家に入り込み、
色々料理を学ぶ、という本を手にして、
理想だな~と私も意気込みました。
が、実際には現地で家庭に入るまでの
度胸が私にはないことを実感。
正直自分にがっかり。。。
それでも自ら学校を探して、手続きして、
電車やバスにのって3ヶ月の間に
マドリード、バルセロナ、
サン・セバスチャン、ポルトガル周遊、
フィレンツェ、ベルリンで
料理の勉強をし終えました。
スペインに家族ができる!
その留学中に今の夫となる
スペイン人に出会い、
永住することになります。
ラッキーな事に夫の両親は、
レンジを使わない、
タッパーはガラス製のみ、
朝はオレンジジュースの生搾りから、
生鮮食品を基本的な調味料
(塩、オリーブオイル、ビネガー)で調理、
化学調味料は一切使わない、という
シンプルで体が喜ぶ食生活を
している方たちで、彼らの食生活から
色んなことを教わりました。
そして今でも
「村の料理上手のおばあちゃんに
料理を教わりスペイン中をまわる」
というのは、まだ私の夢でもあります。
自宅でのスペイン料理教室
料理教室を主宰して14年間、
常にうまく行っていた訳ではなく、
レッスンが埋まらず一喜一憂したり、
メニューを変えたり、
ちょっと路線を変えたり(笑)、
試行錯誤しながら来ました。
(ロンドンやパリに比べたら圧倒的に
日本人の数が少ないマドリードです。)
このまま料理教室を続けるなら、
厨房を経験しておかないと思い、
既に30代後半でしたが、
厨房研修のあるマドリードの
調理学校に入学しました。
運がいいことに配属されたレストランが
星を取る直前のレストランで、
巨匠の考え方とか、サービスだとか、
星を取るために必要なこと、など
目にするもの全てが勉強でした。
ボロボロだった修行時代
ただ、この時期、
絶賛夜泣き中の
2歳の息子を保育園に送り、
寝不足のその足で厨房に入り、
その後また保育園にお迎えに駆け込み、
更に公園で遊ばせてから
クタクタの状態で夕飯やら家事をこなし
(いや、こなせてなかった)、
レストランの休みの日には料理教室を開催、
余った時間で試作。。。
身体はボロボロでしたが、
料理教室で生徒さんの顔を見ると
疲れが吹っ飛んでる
自分にびっくりしてました。
一方、その裏でレッスンでは
美味しい料理を作れても、
家族には適当に作った雑な料理を
出してたり、夫に家事の負担を
増やしてしまったり、
普段の生活が全くまわってない罪悪感から
ポロポロ涙をこぼしたこともありました。
これでは行けないと思い、
時間は掛かりましたが、
忙しい中でも、
家族のご飯は段取り良く準備すること、
修行、料理教室、休養のバランスを
取るようにしました。
自分の目指す料理が見えてくる
そして修行が終わる頃に
改めてはっきり分かったことは、
私が求めているのは
レストランの味じゃなくて、
あくまでも家庭料理ということ。
凝ったソース達はレストランに任せ、
私はあくまで
『家で楽しく簡単に
気軽に作れるもの』
を目指すことにしました。
おふくろの味へのコンプレックス
私が家庭料理にこだわる理由が
もう一つあります。
私は14才の時に母をガンで亡くしました。
母親の煮物が美味しかった、
米を研いだり、
餃子を包むお手伝いをして、
料理が楽しかった、
という記憶はあるんですが、
どんな味だったかなんて
全然思い出せません。
スペインに来て家族にお味噌汁を
作ろうとした時に、
作れない自分がいました。
スペイン料理は作れるのに
和食が作れない、、、
母親が元気でいる友達を
すごく羨ましく思ったり、
子供に家庭の味を
伝えられない、、と自己嫌悪。
考え方を変えてくれた友達の一言
そんな時に、スペインに来てた
駐妻の友達と話してたんです。
そしたら彼女は両親が健在だけど、
共働きで忙しかったし、
餃子は冷凍餃子を食べて育ったって。
今の冷凍餃子は美味しいんだよ〜、
としかもかなり肯定派。
その会話が私には結構強烈で、
その時から家庭の味は
オフクロの味じゃなくてもいいのかも、
と少しづつ思うようになりました。
そして、和食だけでなく
スペインやモロッコとか、
世界の料理が家庭の味に
入ってもいいんじゃない?
それが家族の歴史になって
唯一無二の家族の味になるのかなって。
こんな感じで、
「家庭の味」に
かなりコンプレックスを持ってた私が
今ではスペイン料理を教えてます。
皆さんの家庭に、
私のレシピが嫁入りされることが
本当に嬉しいんです。
(でも、習ったレシピはどんどん家族の味に
変えていっていいですからね!)
母の死が教えてくれたこと
母の亡くなったのが彼女が46才の時。
私、今44才なんで、後2年後なんです。
やっぱりね、意識しちゃうんです。
多分私はそこそこ長生きすると
思うので大丈夫だと思いますが、
皆さん寿命が後2年って
言われたらどうします?
私の母は専業主婦で3人の娘を育て、
自営業で忙しかった父をサポートしながら、
ほぼワンオペで育ててくれました。
亡くなる1年位前に、子育ても一段落して、
ファミレスの厨房でパートとして
少しの間働いてたんですよ。その時に、
「みーちゃん知ってる?お母さんが
働いてるお店、冷凍品をパックから
取り出して温めてるのよ~」
なんて言いながらも、久しぶりの社会生活が
楽しそうだった彼女の顔が、
今でも忘れられないんです。
私は仕事帰りの母がキラキラしてて、
子供ながらに嬉しかったのを覚えてます。
私を突き動かすもの
その母は結局、
海外にも行ったことがないまま、
この世を去っていきました。
多分、その事が引っかかって、
私は母の分まで
色んな場所の、
色んな景色を見て、
色んな人にあって、
色んな経験してやる~
という根性が働いてるんだと思います。
「命は有限であり、
意外ともろく、
たくましくも」
を身を持って教えてくれた母には
感謝しかありません。
この先、私の目指すところ
ここ1年位は、
料理教室のその先を考えるようになり、
私1人でスペイン家庭料理を
広めていくより、教える方を育てて、
『その方達がその周りの方に
教えて幸せにしている姿』
が見えるんです。
お料理が好き、
だけどそれをどう仕事に
活かしていけばいいのか分からない方に、
スペイン料理の
ライセンス付きコースも
準備することにしました。
(お待たせしてる方すいません!)
大好きなスペインの日常と、
飾らないスペイン料理が
皆さんの手でもっと広がっていけば
いいなぁと思ってます。
終わりに
私は料理教室をしてから、
あのまま日本にいたら
会えなかった方達に出会えて、
今とっても幸せです。
しかも今ではオンラインで
世界中の方たちと
繋がれてます!
3年前の私は思ってもなかったこと。
長くなりましたが、食卓を囲みながら、
家族や友人との会話が1つ増えて、
普段の食卓がワクワクしたものになったら
自分も大切な人も、心と身体も
幸せになるかな~なんて、
マドリードから思いながら
スペイン料理を教えてます
プレゼントもありますので良かったら
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