薬膳家庭料理教室 志づ香御膳

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(東京都国立市)

秋の空に還る

やぎ しづか 先生のブログ 2024/10/18 14:12 UP

 
 
ちょうど1か月前
 
9月18日に
 
父が永眠しました。
 
享年86歳
 
30余年前に罹ったがんも
 
乗り越え、元気に生きていた父
 
でしたが・・
 
ここ3~4年、再び病との闘いの
 
日々でした。
 
遅めの彼岸花が咲き始めた頃
 
とうとう旅立ってしまいました。
 
 

 
 
私の父は長年、東芝メディカルという
 
医療機器の会社で営業をやって
 
いました。
 
そのせいで、全国津々浦々
 
転々と移動することが多く
 
私はその途中、静岡県の浜松で
 
生まれましたが
 
すぐに石川県金沢市に転勤に
 
なったので、全く記憶がありません。
 
 
毎年、春と秋になると
 
「今度は転勤ないかな」
 
と心配していました。
 
そんな生活だったから
 
「生まれ故郷=ふるさと」
 
という感覚がありません。
 
まぁおかげさまで
 
環境の変化に対する耐性は
 
つきましたけど^^;
 
 
父は1月初めの生まれで、
 
占星術的な話になりますと
 
太陽星座が山羊座。
 
「山羊座のA型」
 
と聞いてイメージする通りの人
 
でした。(血液型の云々については
 
敢えて言及はしませんが・・あくまで
 
イメージの話です^^;)
 
努力家で、堅実
 
時間に正確、計画的に動く
 
合理的・論理的思考
 
真面目で責任感が強い
 
自分にも他人にも厳しい
 
几帳面
 
 
・・・ざっと挙げるとこんな感じ?
 
父の書斎はいつもきちんと
 
整理整頓されていて
 
どこに何があるか一目瞭然。
 
捨ててある紙屑まで
 
几帳面に4つ切りにされていて
 
びっくりしましたw
 
どうして私は似なかったのかしら?w
 
 
また、父は
 
いまさら聞けないような初歩的な
 
ことについて、
 
分からないことを質問すると
 
「なんでそんなことも知らないんだ」
 
などと詰ったりせず
 
きちんと丁寧に説明してくれました。
 
自分がわからないことは、
 
ちゃんと調べてから後で教えて
 
くれました。
 
そして、大概のことはなんでも
 
知っていて、仕事が忙しいのに
 
いつそういうことを学んでいるのか
 
子ども心に不思議でした。
 
 
休みの日はドライブや旅行に
 
連れて行ってくれましたし
 
日曜日でもいつまでもダラダラ
 
寝たりせず
 
8時にはきっかり起きて
 
毎朝続けていた自己流の体操を
 
します。
 
毎朝父の動きをみれば、今何時か
 
見当がつくくらい正確に
 
動いていました(笑)
 
 
私はパパっ子だったので
 
小さい頃は父にベッタリで
 
大人になってからも、
 
結婚後たまたま実家の近くに
 
住むことになり
 
初めての子育てが
 
いきなり双子スタートだった
 
こともあり・・・
 
ちょうど定年退職後だったので
 
両親が一緒に子育てをして
 
くれました。
 
二人のサポートがなければ
 
育児ノイローゼになっていたかも
 
しれません。
 
 
晩年、運転免許証を返納後は
 
何かの用事の際は私が都度
 
車で送迎しましたが
 
そのたびに「悪いね」と申し訳なさそう
 
にしていたので、
 
「今までの恩返しのつもりだから
 
気にしないで」
 
と言うと、嬉しそうに笑っていました
 
 
祖父の代から継いだ詩吟の宗家として
 
退職後は精力的に活動していた父。
 
亡くなる2か月前くらいまで
 
お稽古もやっていました。
 
病気をしなければ、まだまだ元気で
 
いてくれたと思います。
 
 
 
愛犬につづき、最愛の父も失い
 
今年の初めには夫の父も他界
 
しましたので、立て続けに別れを
 
経験することに・・・
 
でも、父の葬儀の時に
 
読経してくださったお坊さんが
 
「〇〇〇さん(父)は、ここにいらっしゃる
 
お子さん、そしてお孫さんたちという
 
家族を残されました。
 
この方たちは、〇〇〇さん、奥様が
 
いなければここに存在し得なかった方
 
たちです。
 
一旦ご本人の体はなくなってしまう
 
けれども、命はつながっている。
 
だから、無くなってしまうわけでは
 
ないのです」
 
と言ったお話をしてくれました。
 
永遠の命というものはなく
 
人はいつか人生を終えるけれど
 
子孫であったり
 
あるいは、その人が携わったもの、
 
作品や、文章といった形あるものや
 
何かしら、誰かの心に刻まれるような
 
有形・無形の物事や思い出が
 
その命をつないでいくんだな、と。
 
そんなことを思いました。
 
 
ちなみに、
 
そのお坊さんが、「生前どんな方
 
だったのかをお聞きした上で
 
お経を唱えさせてほしい」、という事で
 
母と姉と私に、別室で質問されました。
 
その時に、母は「人の悪口を言わない
 
優しい人でした」
 
私は「真面目で几帳面で、優しい父です」
 
等と答えていましたが
 
姉はきっぱりと
 
「私は父に厳しくされたことしか
 
覚えていないので、怖い人という印象
 
しかないです」
 
と言いました。
 
姉は、私たち家族が広島県福山市に
 
住んでいた頃に大学受験期を迎え、
 
岡山県にある音楽の短大に入ったため
 
しばらく家族と離れていました。
 
その後、私と両親は栃木県の大田原市
 
に転勤で移動。
 
姉は短大卒業後、実家へ戻り
 
大田原市内のピアノ教室に就職しました。
 
1年間は一緒に暮らしましたが、
 
翌年に結婚してしまったので
 
家族と過ごした時間が短かった。
 
そして、長女だからということで
 
父も私より厳しく育てたようで
 
姉にとってはあまり優しい印象が
 
ないのだなと・・・
 
同じ姉妹でも、受け止め方が違う
 
ということに改めて驚きました。
 
 
姉の言葉を受けて、お坊さんが
 
「私も弟がいて自分は長男だから
 
ずいぶん厳しくされましたよ。
 
親はどうしてもそうなりますね。」
 
とフォローして下さってました。
 
 
 
若い頃は、祖父が軍人だった
 
こともあり、父もあちこち転々と
 
していたようです。
 
生まれは東京ですが、高校時代は
 
大阪にいたので
 
淀川工業高校に通い、ラグビー部で
 
ラガーマンとして活躍していました。
 
当時、夏になるとアルバイトと称して
 
琺瑯の食器を作る工場で働かされた
 
という話をしてくれたことがあります。
 
真夏に、火を使う工場の中は灼熱地獄
 
だったけど、若かったから平気だったと。
 
昔は今と違って、そんな仕事しか
 
なかったよ、と笑っていました。
 
 
 
就職後も東芝のラグビー部に所属して
 
いました。そのうち仕事が忙しくなって
 
辞めてしまったようですが。
 
母とはその頃、職場で知り合ったそうです。
 
ラグビーの練習を見学していた母に、
 
父の方から声をかけてきたそうな
 
 

 
 
時代を感じますがw
 
なかなか男前でしょ?
 
 
 
 
いつも友達に、
 
「しづかちゃんのお父さん、カッコいいね」
 
と言われるのが密かに嬉しくて
 
自慢の父でした。
 
家の双子たちが幼稚園の頃、
 
行事の時に見に来てくれた父を見た
 
同じ園児の女の子が
 
「お金持ってそうなおじさん」
 
と言っていたとwww
 
特にお金持ちじゃなかったけど
 
そんな風に見える、ダンディーな
 
父でした
 
 
とにかく「生きたい」という思いが強く
 
辛い治療にも耐えてきました。
 
最後の最後まで、まだ生きようと
 
思っていたはず。
 
緩和ケア病棟に入り、
 
あと数日から1週間くらいと言われ
 
程なくその時が来ました。
 
私と母は、病院に着いていたものの、
 
病室に行く前に、先に独りで旅立って
 
しまいました。
 
最後を看取ることは出来なかったけど
 
穏やかな表情をしていたのは
 
せめてもの救いです。
 
 
しばらく入院していたから、
 
まだ病院にいるような気もしつつ・・・
 
いなくなってしまったという事実を
 
日を追うごとに少しずつ
 
噛みしめています。
 
自分もいつか必ず、最期の瞬間を
 
迎えるわけで
 
それがいつなのかもわからないけど
 
そこそこいい人生だった、と
 
思えるように毎日を大切に
 
過ごしていきたいと改めて思います。。
 
 
生まれ変わっても、
 
また父と母の子になりたい。
 
空の上で、両親を選んでから
 
生まれてくるというけれど
 
本当なら、私の選択は大正解でした。
 
両親の愛に、この歳になってまでも
 
包まれて生きて来られたことに
 
心から感謝しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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