日常を忘れるすてきなキッチンで本格的なお菓子作りとおもてなしを学ぶことができます♪
昨年、娘が左膝のお皿を骨折して、しばらくの間車椅子で通学する必要が生じました。
母の私は、当然、毎朝夕送り迎えをすることになりました。
娘は普段は個別支援級におりますが、朝の会などは参加していました。ある朝個別級の先生がお忙しそうだったので、私が一般級に送っていきました。
娘の席は一番後ろのドアから二つめでした。すぐのところです。でも、後ろの扉から入ろうとしても、ランドセルなどが入っている棚と席との間に殆ど隙間がなく、車椅子がとおる余裕はありません。
小声で「ごめんなさいね、詰めてもらえないかしら」と前の席の子たちにお願いしましたが、聞こえている証拠に背中がぴくんと反応しているのに、私たちは無視し続けられました。
前の席の方で、ちらちらこちらを振り返ってみている子もいましたが、すぐ前の席の子も含め、教壇に立つ担任の先生までも、私たち親子の存在を無視して朝の会は進行しました。
娘は途中で泣き出しました。クラスのみんなが自分たち親子の存在を無視する冷たさに、心が冷えてしまったようでした。
娘は無言で泣き続けます。誰も何も協力してくれないまま、ようやく車椅子を席に斜めにねじ込むようにしたのですが、気がつけば、一時限目の授業が始まってしまいました。
担任の先生からは、とうとうなんの声かけもありませんでした。
この時、私にある記憶が蘇りました。
ああ、あの時の罰かもしれないと。
私が小学生四年か五年の頃でした。クラスにおそらく娘と同じ発達障害の女の子がいました。その子は殆どおしゃべりをすることもなく、いつも静かにクラスに座っていました。アトピーがあったのか、肌が荒れていることがあり、つらそうでした。発育測定、健康診断や学校行事の時には、その子のお母様が付き添っておいででした。
私の子供の頃小学生のうちは、着替えの時もまだ男女一緒でした。健康診断の際、下着姿で並んでいた時、赤く炎症を起こしていたその子の肌を男児たちがからかい、「○○(その子の苗字)菌がうつるぞ!」などと奇声をあげて大仰に逃げ回りました。他の子供は遠巻きに見ていました。
すると、ずっとそれまで黙ってそばにいるだけだったその子のお母様が、たまりかねたように突然大きな声を出されました。
「あなたたち!うちの子が何をしたっていうんです!何にも悪いことも迷惑もかけていないでしょう!どういう了見でそんなことを言うのですか!それはいじめです。そして、今騒いでいたあなたたちだけでなくて、見てきて何にも止めようとしなかったあなたたちも、同じですよ!みんないじめっ子です!」
その時お母様と私は目が合ったように思います。私も、いじめに加担したのだと、酷いことをしたのだと知らされて、ショックを受けました。
40年以上前の罪について私は罰を受けたような心持ちで、何もできないまま、娘のクラスから車椅子を引き摺り出しました。
私もあの時のお母様のように、「うちの子が何したっていうのですか?存在を無視したりするなんていじめですよ!担任の先生あなたもです!」と、大きな声で言えばよかったとあとで思いました。
○○ちゃん、ごめんなさい。どうぞ幸せにしていらっしゃいますように。お母様のお気持ちが今頃になってわかり、猛省しています。
私は、子供の教育にはやはり愛や慈しみを土台にしなければならないと思います。人も、家庭も、それが集合した形が国家なのですから、心を養わなければ国は滅ぶことでしょう。