こんにちは。
仕事を一息ついている時に、とても心が動く記事を見つけました。
同じ病院の清掃員から上級看護職へ 3枚の身分証に全米感動(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース【もぎたて海外仰天ニュース】 ある女性の3枚の顔写真付き身分証が人びとに感動を与えている。 news.yahoo.co.jp
夢を持って生きること。
ものすごく大切だと思います。
私は、CAになりたかったけど、新卒の時はリーマンショック直後の時期で採用が無くなったり、減少したりでした。
と言い訳しても、最後は私の努力が足りず、夢を叶えられませんでした。
でもやっぱり諦めきれずに、娘が生まれ生後半年の時に、CAの既卒採用に応募しました。
そして、合格し、娘が1歳を迎えた時に訓練が始まりました。
世田谷区では待機児童が多かったので、12月入社の私は保育園を確保することができませんでした。
なので、全日一時保育で繋ぎ止めました。
毎月1日の10時にFAX到着の先着順だったので、コンビニのFAXに仁王立ちになり血相を変えて送っていたのを思い出します。
もちろん私1人の力ではなく、夫や母が協力してくれたお陰で働くことができました。
私は、大学試験の時も偏差値40からのスタートでした。
高3の模試で偏差値とは何かを知りました。
小学校からエスカレーターで高校まで行っていたので、高3で勉強机さん初めまして状態。
英語だけ唯一好きだったからできていたけど、日本史なんてまずは時代の並び方から覚えるレベル。
知っている人物は、卑弥呼さんと織田信長と秀吉と家康さんくらい。
国語は、それまで作者の考えをみんなでそれぞれ考察する授業だったから、まずは現代文に答えがあることに驚きました。
今でも思うけど、どれも正解じゃない?あの問題すごく嫌い。
かと言って、勉強一筋になれたのは高3の10月。
なぜなら学校の文化祭で高3は劇をやるのですが、どうせやるんだったら役になって謳歌したい!といらんことをやって、結局夏休みは毎日学校で劇の練習。。。
でも、どうしても法学部に行きたくって、最後の模試でもE判定だったし、センター試験なんてまさかの6割しか取れなかったけど、2月の最後まで絶対に諦めませんでした。
そうしたら、学習曲線の伸びが最後の2週間にやってきました。奇跡でした。
CAの時も、大学受験の時も、今だって、、、
いつも思うことは、
「絶対できる」
という根拠のない自信です。
「模試でE判定だし、あなたの偏差値は低いからこの学校はやめなさい」であったり、
「乳児を抱えてCA試験なんて受かるはずがない」
など、私はこういう話が苦手です。
諦める理由なんて考え始めたら、何百とあるけど、そうじゃないと思う。
やめる理由を考えるんだったら、どうにかできないか考えていきたい。
私がラッキーだったことは、両親が全く数字で人を見なかったこと。
失敗しても、「やったね!これでもっと良くなったね。」と言われ続けたおかげで、完全に失敗を良い物だと確信できるようになりました。
そして学校もまた、12年間通信簿なしの学校。
テストの点数ではなく、興味関心、つまり「好きの芽」を最も大切にしてくれていました。
そして、可能性が1%でもあるならば、挑戦しないなんてもったいない!という考え方をずっと教えてくえていました。
この、挑戦力。
小さい頃から養うかどうかできっと人生全く違うものになると感じています。
やってもいないのに、周りから言われたり、前例が無いから、
「どうせ無理」
って考えて、可能性を潰してしまったら、ものすごくもったいない。
だってやらないでいるより、挑戦して失敗した方が結局プラスになるから。
私は、親と学校から挑戦力と失敗の素晴らしさをとことん学びました。
そしてその考え方ができることを心から感謝しています。
この夢を叶える考え方、社会に還元していきたい。
それがリトルシェフクッキングを始めたきっかけなのでした。
父の影響を受け、幼少期より料理に興味を持つ。元日系航空会社のCA。
2人の子供の親となり、多くの子供たちに料理の楽しさ、食の大切さを伝えるため、2歳児から参加できる料理教室を主催。
<著書>
失敗したって大丈夫!と言える子になる「子ども料理」のススメ(クックパッド)
賢い子は料理で育つ (春陽堂書店)
リトルシェフクッキング まほうのレシピ お菓子編 (春陽堂書店)